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相互鈑金のよもやま話 ~自動車修理の起源について~

皆さんこんにちは!

相互鈑金、更新担当の中西です。

 

イベント盛り沢山なこの季節、いかがお過ごしでしょうか?

さて今回は

自動車修理の起源について

ということで、この記事では、日本における自動車修理の起源から、その進化と文化的背景について深く掘り下げます♪

自動車修理という分野は、現在の日本において非常に重要な産業の一つです。しかし、その起源を辿ると、現代の整備技術や自動化された修理工場とはまったく異なる、手作業を基盤とした時代にまで遡ることができます。日本の自動車修理の歴史は、車両技術の進化とともに形作られ、戦後の経済復興期を経て今日の高度な技術体系に発展しました。

 




明治期と自動車修理の萌芽


日本に初めて自動車が持ち込まれたのは、明治30年代のことです。1898年、フランス製のプジョーが東京に輸入され、これが日本における自動車の始まりとされています。この時代、自動車は「動く機械」として非常に珍しい存在であり、限られた富裕層や政府関係者しか所有していませんでした。

当時、自動車が故障した際の修理は、専用の技術や施設が整っていなかったため、機械工や鉄道技術者が修理を手掛けることが一般的でした。多くの場合、部品の交換ではなく壊れた箇所を手作業で修復することが中心で、鉄工所や船舶修理工場がその役割を果たしていました。このように、自動車修理は他の産業分野から派生した技術者たちによって支えられたのです。

 




大正時代の自動車普及と修理の発展


大正時代になると、自動車の輸入が増え、アメリカ製のフォードやGMの車両が日本市場に流入しました。特にフォードが東京で自動車組立工場を設立した1925年以降、日本国内での自動車の普及が加速しました。この時期、国内における自動車修理技術は一段と進化し始めました。

大正時代後半には、自動車の整備や修理を専門に行う小規模な工場が登場しましたが、その数はまだ限られており、主に都市部に集中していました。地方では、引き続き農機具や船舶を扱う工場が代わりに自動車の修理を行うことが一般的でした。この時代の修理は、主にエンジンやシャーシの整備が中心であり、鈑金修理や塗装といった外装の修復はまだ未熟な段階でした。

 




昭和初期と国産自動車の台頭


昭和初期、日本初の量産自動車「ダットサン」が登場しました。この頃、国産自動車メーカーの設立が相次ぎ、自動車修理に必要な技術も日本独自の方法で発展していきます。特に、1930年代後半には、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)が本格的な生産を開始し、国内市場に適した部品供給体制が整いました。

これに伴い、自動車修理業界も徐々に独立した産業としての形を整え始めました。全国の主要都市に整備工場が設立され、国産車に特化した修理技術が確立されました。また、戦前の軍用車両の整備技術が後の民間修理技術の基盤となり、機械工学を学んだ技術者たちが修理の品質向上を推進しました。

 




戦後の復興期と修理産業の拡大


第二次世界大戦後、日本は焼け野原となりましたが、復興の過程で自動車産業が急速に発展しました。この時期は、自動車修理産業にとっても大きな転機となりました。戦時中の軍用車両を修理して生計を立てる技術者たちが多数おり、その技術が民間車両の修理に活用されました。

また、戦後の経済復興期には、トヨタや日産といった国内自動車メーカーが大量生産を開始し、それに伴い車両の整備や修理を行うサービス網が全国に広がりました。特に、高速道路網が整備される1950年代後半以降、自動車の利用が一般家庭にも広がり、修理需要が急増しました。

この時期、エンジンや機械系統の整備に加え、外装の鈑金修理や塗装技術も進化しました。また、部品の交換を迅速に行えるよう、メーカーが純正部品の供給網を構築し、修理作業の効率化が進みました。

 




高度経済成長期の整備技術の近代化


1960年代から1970年代の高度経済成長期は、自動車修理業界にとって飛躍の時代でした。この時期、日本では家電製品と同様に自動車の所有が一般家庭に浸透し、新車販売とともに修理の需要も大きく増加しました。

この頃、自動車修理は機械的な修理から、車検や定期点検を含む総合的な整備サービスへと発展しました。さらに、メーカー系ディーラーによるアフターサービスの拡充により、修理工場の質も大きく向上しました。同時に、全国的な整備士資格制度が確立され、整備士のスキル標準化が進みました。

また、海外からの技術導入も進み、アメリカやヨーロッパの自動車メーカーと提携したトレーニングプログラムが導入されることで、最新技術の普及が図られました。

 




現代の修理業界への影響


今日では、自動車修理業界は大きな変化の中にあります。自動車のハイブリッド化や電動化、自動運転技術の導入が進む中、修理の方法も高度化し、電子制御システムやソフトウェアの整備が必要不可欠となっています。また、環境規制の強化に伴い、修理プロセスの中でリサイクルやエコ技術が積極的に取り入れられています。

さらに、デジタル化の波により、3DスキャナーやAI診断ツールが修理現場で活用されています。このように、自動車修理は長い歴史を経て、現在も進化し続けています。

 




まとめ


日本における自動車修理の起源は、明治時代に輸入車が持ち込まれたことに始まります。その後、大正時代の自動車普及、昭和初期の国産車の台頭、戦後復興期の需要拡大を経て、修理技術は高度化し産業として発展してきました。現代では、電動化や自動運転技術に対応した新しい修理技術が求められており、自動車修理業界はますます重要な役割を果たしています。この歴史を振り返ると、日本の自動車修理技術がどのように社会とともに成長してきたかがよく分かります。

 

 

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